想い

 

第一章

 

 

桜の花びらが風に踊り、無表情なグラウンドをあざやかに染めている。

一木仁(いちきじん)はその光景を窓越しに眺めていた。

丁度一年前にも仁はこれと同じものを見ていた。

だが今年は去年のそれにないものがある。これを失ったのは仁にとってあまりに大きな損失だった。
失った当初は打ちひしがれ憔悴しきっていたが今はその面影を見る事はない。ショックを忘れたわけではないがだいぶ緩和された。時が癒してくれたのだろう。
だがそれ以外にも理由はある。仁は待っているのだ。あの人を――

 

 

少年、一木仁の一日は母親の声と共に始まった。

 

「仁! 起きなさい。遅刻するわよ」

 

朝の定番ともいえるオーソドックスな台詞に仁はたたき起こされた。

高校2年生の新学期から遅刻するわけにはいかない、軽い焦燥感を覚えながらリビングへと降りた。そこで見た物に彼は絶望した、時計の針はまだ7時を差している。

 

「なんだよ、まだ寝れたじゃないかよ」

 

仁の通う学校は家から徒歩10分の所にある。登校時間は8時半なのでまだ存分に寝ていられた。

 

「アンタ『遅刻』って言ったらすぐ起きてくるからね。それに新学期初日くらい早起きしたってバチはあたらないでしょ」

 

母はそういうとテーブルの上に朝食を並べていく。

白米にミソスープ、焼き魚などティピカルな和食だ。

仁はブツブツと文句を垂れながら朝食に手をつけた。

 

「じゃあ母さんもうでるからね。ちゃんと鍵かけて行くのよ」

 

今までしていたエプロンを放り投げ玄関へと駆ける。

 

「今日はやけに早いじゃん。何かあったの?」

 

「ちょっとね。……じゃ行ってきます」

 

勢いよくドアが閉まる音が聞こえた、続いて車のエンジン音が聞こえ駐車場から車が走り出した。

一木家は母子家庭で母親の和代は某証券会社に勤めている。給料はいいようで大方不自由のない生活を送っている。

仁が食事を食べ終え諸々の準備を終えても時間は腐るほどあった。

腐らせるのはもったいないが家に居てもすることが無い。暫く考え込んだ仁は取敢えず家を出る事にした。

外は澄み切った青空だった。その中で宙を舞う物があった。

 

「桜の花か」

 

近所の公園から飛んできたのだろう。春風に吹かれクルクルと踊っている。

そんな様子を眺めていると自然に心にも余裕ができる。そんな訳で何を思ったかこの時の仁は遠回りをし学校へ行く事にした。

10分で行ける学校に遠回りをしていくのも馬鹿げている気もするがここは春は人を狂わせるという事にしておこう。

仁は桜並木のある川辺へと向かった。

川原は朝という事もあり人の姿は疎らだった。

手近なベンチに腰をかけると川の対岸の桜を眺める。

両岸とも同じような桜並木なのだが仁の居る岸は東側なので対岸を向いていると眩しくなくていい。

暫時呆けていると不意に目の前が真っ暗になった。そして聞きなれた声がこう言う。

 

「だーれだ」

 

この声が高く細ければ申し分ないのだが残念なことに低く野太い声だった。こんな声でふざけた事をしてくる奴は一人しか居ない。

 

「光一君よ、毎度毎度同じ事ばっかりしてないで少しは新しいのを考えたらどうだ?」

 

「いいだろ、気に入ってんだから。それよりどうしたんだよこんな所に来て、お前とは縁の無い場所に思えるんだが」

 

この朝からハイテンションで低血圧とは無縁と思われる少年は上小諸光一(かみこもろこういち)と言う名前だ。仁とは中学からの仲である。

確かに仁とこの桜並木は合わないだろう。だがそれは光一、お前も同じ事だ。

 

「いや、俺はアルフレッドの散歩だよ」

 

光一は横に佇んでいるセントバーナードの頭を叩きながら言う。

 

「今頃犬の散歩ってお前学校間に合うのか?」

 

「大丈夫、いつも通り行くって」

 

こいつの言う『いつも通り』とは『遅刻ギリギリ』と同義である。無論それはいつもの仁にもあてはまることだ。

 

「取敢えず俺は帰るわ。また後でな」

 

手を振りながら光一は桜並木に消えた。

時計を見ると針は8時を差していた。ここからなら学校まで15分ほどの距離だ。

仁は腰を上げ光一と同じように桜並木から舞い降りる桃色の風に撒かれていった。

 

 

仁が学校に着くと既にクラスの席の半分は埋まっていた。この学校ではクラス換えというものが無いので前年度と同じ顔ぶれが揃っている。

だがその中に仁の探している顔は見当たらない。仕方なく自分の席に座り校庭を眺める事にする。校庭では木から離れた花が土を舐め地面を淡い桜色に染めている。この桜の波が幾度か校庭を通った時またもや目も前が真っ暗になった。そして定番。

 

「だーれだ」

 

本日2度目だ。しかし今回は奴ではない。今回は声も高く細い、手も硬くなく柔らかい。そして極めつけは香りだ。光一のような男臭さはなく仄かなシャンプーの香りがする。

 

「秋江か、光一と同じ事してんじゃねぇよ」

 

手を振り払い振り返るとそこには小柄で髪の長い少女が一人はにかんでいた。

この少女こそ後の外務大臣となる好見秋江(よしみあきえ)である。

なんてのはウソで外務大臣ではなく仁の彼女の好見秋江だ。

 

「光一君と間違う事を期待してたんだけどなぁ」

 

「残念だが俺がアイツと秋江を間違えるわけ無いだろう。手の感触からして違うしな」

 

「……仁なんかエロイ」

 

彼女の口から思いもよらない単語が飛び出してので仁は驚いた。エロイ? 今の台詞がか? むしろ違いを見分けられたのを褒める所だろう。

 

「感触って……ちょっとどうかと思うわねぇ」

 

「ホントよね、仁君ったら。でもそういうお年頃だから仕方ない事なのよ」

 

秋江に同意を求められたのは光一だった。奴はいつのまにか秋江の横に現れオネエ言葉で喋っている。

仁と秋江と光一の三人で集まるのは今に始まった事ではなかった。中学からの腐れ縁の光一と共にこの高校へ入学し1年の途中秋江との付き合いを開始しいつの間にやら『仲良し3人組』の構図ができあがっていた。

新学期が始まっても3人の関係はかわる事は無くこの日の朝もHRが始まるまで会話に興じていた。

HRは新たについた担任の自己紹介から始まった。担任は南風明(はえあきら)といった。今年1年目の新米だそうだ。南風と呼びにくかったらベルゼバブでも構わないと言っていたが何が言いたいのか見当もつかない。

このまま長々と意味の薄い連絡が続くのが例年の慣わしなのだが今回はワンクッション入った。

 

「――さて、新学期特有のイベントの一つでもある転校生が居ます。ではご登場」

 

ベルゼバブは無駄にハイテンションで大げさな身振りでドアを仰いだ。

衆目の中ゆっくりとドアが開き少女が一人教室に入って来た。

少女は小柄で長髪、秋江によく似たような印象を受けるが一つ違う点がある。この少女は秋江と違いおとなしそうなかんじだ。見た目だけで言えば「薄幸の美少女」といった感じだ。

 

「初めまして、百地夕里(ももちかおり)と言います。宜しくお願いします」

 

夕里は軽く頭を下げる。その様子にクラスの飢える狼供からは歓声が上がる。

 

「じゃあ百地はそこの一番後ろの席に座ってくれ」

 

バルゼバブが「そこ」といったのは窓から2番目の列の1番後、つまり窓辺の列にいる仁の横である。

席に着いた夕里は仁のほうを向き微笑み言う。

 

「よろしくお願いします」

 

「あぁ、こちらこそ。俺は一木、一木仁」

 

 

HRが終わると狼供がまるで英国の商船を見つけたUボートのように夕里の下へと集まってきた。

輪形をなし夕里を取り囲み質問を投げかけている。

前はどこにいたのか? 彼氏はいるのか? 好きなタイプは? 何故転校してきたのか?

夕里は数多の質問にも関わらず健気にも全ての質問に答えている。

――前はF県に――彼氏はいなかった――優しい人――親の都合で――

夕里の臨席の仁も否応無しにこの輪の中に入ってこの狼と夕里の周囲から人垣が消える事は無かった。

 

1ヶ月もすると夕里も教室に溶け込んでいた。

席が隣ということも手伝って仁と夕里はよく会話交わす仲、つまり友達となっていた。

仁が夕里と親しくなればその友人と彼女でもある光一と秋江とも自動的に友人となっていた。嫉妬深いところがある秋江とも簡単に打ち解けたのは少々意外だったが衝突がなければこれほどよいことはない。

今日も4人は1ヵ所に集まって井戸端ならぬ机端会議を開催していた。

議題はもっぱら3日後に迫ったゴールデンウィークのことだ。

 

「……でだ、この4連休の内どこかで遊ぼうぜってわけなんだけど。どうかな?」

 

光一はおっさん臭い黒皮の手帳を開き赤く印字された部分をペンで叩きながら提案する。

 

「俺はずっとフリーだからいつでもいいぞ」

 

「私は3日と4日に予定があるからそれ以降なら」

 

残るは夕里のみ、3人の視線が夕里に集まる。

有利はニヤリと笑い首を縦に振る。

 

「大丈夫ですよ。特に予定もないですし」

 

「よしじゃあ、5日と6日のどっちにする?」

 

「6日だと次の日学校だから5日にしない?」

 

秋江の提案に光一が膝を手で打ち決定を示す。

しかしまだ一つ問題が残っている。

 

「……で、どこに行くんだ?」

 

仁の問いに光一は遠い目をし校庭を眺める。

 

「考えてないんかい!」

 

光一の鳩尾に仁の拳がめり込む。

「ぱぼろ」という分けの分からない断末魔を残し机に崩れ落ちる。

 

「じゃあオーソドックスに遊園地なんかどうですか? 最近近くに新しいのができたんですよ」

 

夕里のいう遊園地とはここから2駅ほど行った所にできた新興の遊園地だ。なんでも奇抜な演出で客を呼んでいるらしい。

 

「いいんじゃない。ダブルデートみたいな感じがするけど」

 

秋江は目で線を引く、仁と秋江、光一と夕里という線引きだ。

 

「ハハハハハ、そらねぇよ、なぁ?」

 

光一は「ちゃんちゃら可笑しいぜ」といわんばかりにせせら笑っている。夕里はといえば「フフフ」と妖しい笑を浮かべている。

 

「冗談はさておき5日に遊園地って事で異論は無いわね」

 

秋江の確認に3人が同意する。

ここで丁度よく電子音の鐘がなった。5時限目の開始だ。

教室中に散っていた。生徒達は蜘蛛の子を散らしたように自分の席に戻っていく。

4人も同様に己の席へと戻る。その際戻り際に秋江が仁の下へ駆け寄り耳元でそっと囁いた。

 

「ホントは2人っきりで行きたかったね」

 

「へ?」

 

仁は覚えず聞き返した。が秋江は照れているのかすぐに顔を背け小走りで去ってしまった。

仁はその残り香の中でその台詞を頭の中で何度も再生した。顔がニヤケてしまうのは仕方が無い。これでも抑えている方だった。

教師がやって来てもその顔は戻らなかった。幸いにも席が教室の後方なので見つかる事はなかった。ある1人を除いては。

 

待ちに待ったゴールデンウィーク3日目、この日は皆で遊園地へ行く日だ。

仁は意気揚々と集合場所へと向かった、少々張り切りすぎたようで30分も前についてしまった。

だが仁が着いた時には既に夕里が居た。夕里は白色系のワンピースに身を包み手にはバスケットを持っていた。

夕里は仁を見つけると手を振って近づいてきた。

 

「お早うございます、早いですね」

 

「いやいや、夕里さんの方が早いから」

 

「ちょっと早く目が覚めちゃって」

 

夕里はいつもとは違う「女の子」の顔で笑う。

こうしてみると夕里もなかなかに可愛く思える。

 

「そういえば光一はまだなのか? あいつが1番早く来てはしゃいでそうなんだけど……」

 

辺りを見回しても奴の姿は無い。集合時間の1時間前に来ていてもおかしくは無い。

 

「あ、やっぱり知らないんだ、光一君と秋江さん今日は来れなくなったそうです」

 

「え!? そうなの? って秋江も?」

 

「はい、家の用事とか何とかで。光一君は食あたりだそうです『生肉はヤバイ』とか言ってましたよ」

 

光一の食あたりはどうでもいいとして何故秋江は仁ではなく夕里に連絡をしたのか、それが気がかりだった。

 

「それはですね、2人とも仁君に連絡を取ろうとしたのですがどうしても取れなかったという事です」

 

そういえば携帯をマナーモードにしたままだった。しかもサイレント。

携帯を取り出すとそこには何件もの着信とメールが表示されていた。

 

「気付かなかった」

 

「仕方ないですよ、それじゃ行きましょうか」

 

向きを変え歩き始める夕里、仁は慌ててそれを止める。

 

「まてよ、行くって遊園地か?」

 

「はい、そうですよ」

 

「秋江と光一が居ないのにか?」

 

「それは残念ですけど折角なので行きましょうよ」

 

夕里は断固として行くつもりだ。その意志は変えられそうに無い。

 

「私とじゃ……だめですか?」

 

「いや、駄目じゃないけど」

 

「だったら、行きましょ」

 

夕里は仁の腕を取って歩き出す。大した力ではないのだが不意を付かれて成すがままになってしまう。

 

30分もすると2人は遊園地の中に居た。フリーパスを首からぶら下げ闊歩する様子は恋人以外の何者にも見えないだろう。

仁は秋江に対する罪悪感を抱きながら嬉々とした顔の暴君に従っていた。

2人はまず定番のジェットコースターへと向かった。先日夕里が奇抜な遊園地だといっていたので期待は募る。

が、その期待は見事に打ち砕かれた。2人の前に停まっているコースターはどう贔屓目にみても10年、いや20年は野晒しにしていたような劣化具合だ。

 

「これ、大丈夫なの?」

 

「大丈夫ですよ、こう見えても最新式だそうですから」

 

「最新式……これが?」

 

「そうですよ、これも演出の一環なんですから。『スピードとは別のスリルも味わえるジェットコースター』って謳い文句なんですよ」

 

確かに間違いではないだろう。が、追求するスリルを履き違えているのではないだろうか。

そうこうしているうちに2人はコースターに乗り込む、座席はまあまあの座り心地なのだが安全バーが極端に細い。そして内壁も外壁同様にザビついている。……本当に最新式か?

コースターは走り出した。不吉な音を出しながら。

 

コースターから降りた仁は憔悴しきっていた。あのコースターは今にも壊れそうな音を出しながらかなりの高速で走るのだ。スリルがあって怖いのは違いないが怖いと言うより恐ろしいといった方が語弊が無いだろう。

一方夕里はといえば満足した顔で感想を述べている、「あの傾斜を降りる所がよかった」とか「あそこで停まるとは思わなかった」とかだ。

だが仁にそれを聞いている余裕はなくベンチに座りぐったりとしている。

 

「楽しくなかったですか?」

 

「そんなことないよ、只ちょっと酔っただけ」

 

「大丈夫ですか? 絶叫系駄目なら言ってくれればよかったのに」

 

正直かなり苦手だ、かなり苦手だ。幼き頃に親に無理やり乗せられトラウマになっている。

 

「ごめんなさい。私ばかり楽しんじゃって……」

 

「いや、大丈夫。こう見えてこれも楽しんでるから」

 

ウソではない。身体的にはかなりきついが精神的には十分楽しんでいる。友達とはいえ美少女と遊園地に来ているのだ。この状況で楽しめない奴はそうそういないだろう。

10分程休憩をとり2人は再び享楽の園へと戻った。

2人が園から戻ってきたのはそれから数時間後のことだった。

休憩所の小洒落た椅子に腰をかけテーブルを挟んで座っていた。テーブルの上には藤のバスケットが置かれている。

仁はぐったりと背もたれにもたれかかっている。あれから高速メリーゴーランドに乗り回転数のやたらと多いコーヒーカップなどに乗った。1番きつかったのはウォータースライダーだ。U○J顔負けの高さから落ちるなんて悪夢だった。

夕里はというと幸せそうな顔をしてジュースのストローを吸っている。

 

「楽しそうだね」

 

「はい、私遊園地ってあまり来た事なかったんですよ。私の家片親で小さい頃から仕事ばっかりで……だから今日はすごく楽しいんですよ」

 

夕里は一瞬愁いを帯びた表情を見せた。だがそれは愁いというには少々暗すぎるかもしれない。しかしその顔はすぐに失せまた笑顔を作り出した。

 

「そうなのか、俺の家と似てるな。俺も片親でこういうところには縁が無かったんだよ」

 

「えぇ、知ってます」

 

夕里は笑顔のまま言った。だがそれはいつも見せるそれとは違いどこか粘着質を感じるものだった。

 

「あれ? 俺言った事あったっけ?」

 

「ええ、忘れてたんですか? フフフ」

 

夕里の笑顔は元に戻っていた。何だったのだろうか、さっきのは」

それに仁は「片親だ」という事を言った記憶はなかった。家の事情だけあってそうそう他人に口にする話ではない。

仁が口をつむぎ考え込んでいると夕里は仁の心境とは真逆とも言えるほどの明るい口調で言った。

 

「それより、お昼食べましょう。もういい時間ですし」

 

時計は13時を差している。なるほど、確かにいい時間だ。

仁は若干のはぐらかされた感を感じたがバスケットを広げる夕里に押され言及する事ができなかった。

バスケットの中にはサンドウィッチが入っていた。

 

「これ作ってきてくれたの?」

 

「はい。あ、大丈夫ですよそんなに手間はかかってませんから」

 

そうは言ってもかなり物だ。一つ一つ形も整っているし具も数種類ある。

 

「それじゃ頂きます」

 

まず手短にあったなにか薄い肉の入った物を取る。

 

「美味い、なにかちょっと変わった味がするけど……」

 

「フフフ、隠し味ですよ。どうですか?」

 

「ちょっと金属っぽい……? ほんのりとだけど」

 

微かにだが確かに感じる、肉が生なのか?

 

「隠し味ですって。巷ではあまり見かけないものなので違和感はあるかもしれませんけど慣れればなかなかいいですよ」

 

隠れてない隠し味というのはどうかと思うし正直この風味は好きになれそうも無い。

しかし残すわけにはいくまい。夕里は厚意で作ってきてくれたのだ。それを残すようなまねは出来ない。仁は全てを食べきった。

 

「ごちそうさま」

 

「お粗末さまでした。さ、次のに行きましょう」

 

手早く片付けた夕里はさっと立ち上がり仁を促す。

2人は次のアトラクションに向かうべく歩き始めた。

2人が次に選んだのは一番人気だというお化け屋敷だった。

正直仁はお化け屋敷も苦手なのだが夕里の手前臆するわけにも行かない。意を決して屋敷へと入っていく。

このお化け屋敷はいくつかの間に分かれているようで1から順に攻略して行くシステムだそうだ。

第一の間には「愛憎渦巻くロングヘアー」という名前がついていた。

わかるような分からないような名前だ。

中に入っても暫くは只おどろおどろしい音楽が流れているだけだった。

 

「怖いって聞いてたけど何も出ないですね」

 

「そうだな、気味が悪いだけでなんともないな」

 

「そういいながら震えてるのは何故ですか?」

 

「れ、冷房が強すぎるんだよ」

 

「フフフフフ」

 

しまった、見つかってしまったか。作り物とわかっていてもやはり怖い物は怖い。

指摘された震えを気力で抑えようと息を大きく吸い込み全身に力を込める。しかしその瞬間ふと聞こえてきたものについ吸い込んだ息を吐いてしまった。

 

「い、今なにか聞こえなかった?」

 

「え?」

 

夕里は耳を澄ます。仁も確かめる為に耳を凝らして物音を探る。

 

「……して……の? ……ぇ……ど……て……」

 

「聞こえました。女の人みたいな声が。なんだか怖くなってきましたね」

 

夕里は待ってましたといわんばかりの口調で言う。

何故そんなに楽しげなのか、仁には理解できない。

 

「どう……て……私を…」

 

「だんだん声が大きくなってきましたね」

 

「あぁ、でも大きくなるっていうか……近づいてる?」

 

「近づいてる?」

 

仁の言葉を受け夕里が後を見る。「あっ」っと声を上げたので仁も見たくは無かったが振り向いた。

そこには白地に赤色のワンピースを着たロングヘアーの女性が立っていた。手には金属特有の鈍い光を放つ鉈をもっている。

 

「どうして私を捨てたの? ねぇ、どうして」

 

女はゆっくりとした歩調で近づいてくる。

 

「ねぇ、そんなにその女がいいの? また私がコレで片付けなきゃならないじゃない。あの女みたいに」

 

女は手にしたエモノを慈しむように舐める、ご丁寧に鉈には赤黒い液体までついている。

その目は冷たく、憎しみに満ちているように見える。

仁の体が強張る。覚えず仁は走り出した、夕里の手を取って。

 

「うわっっえ?」

 

夕里は意表をつかれ一瞬喫驚の表情をみせたがその顔は次第に赤みを帯びてゆく。

しかし仁にそれを見ている余裕は無かった。彼自身喫驚しており無我夢中で走っていたからだ。

 

「どうして逃げるの? 待ってよ、私のどこが駄目なの? ねぇ、直すから。ねぇ!」

 

知りません貴女なんてあったこともありません。強いていうなればその行動が駄目です。

おそらく設定としては元恋人といったところなのだろう。女は謝罪の言葉を述べながら鉈を振りかざし追ってくる。

仁は一心不乱に走った。気付けば「愛憎渦巻くロングヘアー」の間を抜けていた。

その後、第二の「王水と熱アルカリのコラボレーション、2人の化学者仕立て」、第三の「赤い靴下と石綿、その時ディビットは」、第四「湖の畔の静かな病院」と続くのだがこれらは皆様のご想像によりお楽しみ下さい。

 

お化け屋敷から出てきた仁は憔悴しきっていた。対する夕里はご機嫌で幸せそうな顔をしている。それもそうだろう、「愛憎渦巻くロングヘアー」からずっと2人の手はつながったままなのだ。

屋敷から出た仁は半ば放心しておりその場に呆けていた。

今度は夕里が仁の手を引き近くのベンチまで連れて行った。

仁は口を半開きにし心ここに在らずといった感じだ。

 

「フフフ、だらしないですね。でも私はこんなものじゃ嫌いになんかなりませんよ」

 

「……」

 

惜しむらくはこの時仁の意識が遠いお空の彼方にあったという事だろう。

仁の中では第一から第四の禍々しい者どもが追ってきているのだった。

 

「――」

 

声ならぬ声が口から漏れる。

 

「ホント、みっともない……フフフ」

 

 

仁が意識を取り戻したのは観覧車の中でだった。既に日輪は傾き空は茜色に染まっている。

仁の正面には夕里が座っている。

 

「あ、気がつきました?」

 

「あれ? 俺……」

 

「お化け屋敷を出てからずっと放心してたんですよ。苦手なら苦手って言ってくれればよかったのに」

 

「あ、う……。ごめん」

 

罪悪感と羞恥心からこれ以上言葉を続ける事が出来なかった。

 

「フフフ、気にしないで下さい」

 

「でも……」

 

「じゃあ一つ約束してください。今日のことは皆に黙っておいて下さい。秋江さんに知られちゃったら私、壊されちゃいますから」

 

表現が恐ろしすぎる気がするが確かに秋江は嫉妬深いところがある。以前昔の彼女と話しているところを見られたときは酷い目に遭った。仲の良い夕里であっても秋江の手にかかる可能性は捨てきれない。

 

「あぁ、分かった。約束する」

 

「フフフ、絶対ですよ」

 

笑顔を見せる夕里の顔は茜に染っている。それは夕焼けによるものなのかそうでないのかはよく分からない。

だが色彩は分からなくとも一つ分かる事がある。夕里は笑ってはいるがその笑顔からはいつもの朗らかさが感じられない。表面だけ笑っているような無機質さを感じる。

冷冽で氷のようなそんな冷たさを。

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